『会いたい』


『別れるのは嫌だ』


『抱きたいんだよ』


 彼の口からこんな台詞が繰り返される度、胸が締めつけられるような感覚を覚えた。


 ストレートに気持ちをぶつける先生の姿に嬉しいと思う反面、「もう嫌だ、そんな言葉聞きたくない」と悲鳴を上げそうになる自分もいる。以前なら誘いの言葉に対して自惚れを感じていただろうが、今の私にはどうしても疑心暗鬼の念を拭い去ることが出来ない。それどころか逆に、彼に嫌悪感さえ抱き始めるようになっていた。


「もう、それ以上言わないで下さい・・・」


 不意に涙が出そうになるのを堪えながら、小さな声でつぶやいた。


 昂る気持ちをどうにか落ち着かせる為、ふうっ・・・と深いため息をつく。その行為に効果があるのかはわからないが、こうすれば少しだけ冷静になれるような気がした。

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『私、二年生の時からずっと、先生のことが好きだったんです・・・』

―勇気を振り絞って、想いを打ち明けたあの時。


 当時は「告白」しか頭になくて気づかなかったけれど、よくよく振り返ってみれば“好きだよ”はおろか、“付き合おう”という言葉さえ、先生の口から出てこなかったのを覚えている。今だって同じような状況だ。“会いたい”は何度も繰り返すくせに、本当の気持ちはちっとも打ち明けてくれやしない。

 いつだって先生は肝心な部分に触れてくれないのだ。前も、そして今も。


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「・・・私ね」


「ん?」

「先生に告白する前までは、絶対振られるだろうなって思ってました。」

「うん」

「でも、こうやって付き合うことになって・・・初めは会えるだけでも嬉しかったのに、いつの間にか“誰にも先生を取られたくない”っていう独占欲が生まれてました。」

「うん」

「もし、先生が他の人を好きになったり結婚したりしても、奪い返してやる!ってくらい好きなつもりだったけど・・・」

「けど?」

「あと半年で子供が生まれてくるんじゃ、もうどうしようもないじゃないですか。」


「・・・」

 果たして自分の気持ちを上手く伝えられているかはわからないが、再び黙り込む先生に向かって私は更に畳み掛けた。

「先のない恋愛なんて、私にとってもう辛いだけなんですよ。」

「・・・」


「だから先生にはもう会わないって決めたんです、会いに行っても自分を追い詰めるだけだから。」


「嫌だ」


「わかってくれないなら、仕方がないですね・・・」

「うん」

「私は会うつもりありませんから・・・先生、ごめんなさいっ。」

  ピッ

  ツーツーツー・・・


 遂に私は、強制的に通話終了のボタンを押した。 頑として譲らない先生に、成す術がなくなってしまったのだ。あっけない終わりだと自分でも思ったが、こうするしかもう方法はなかった。 



  会いたかった。

  別れたくなかった。

  もう一度、やり直したかった。

  だけど・・・





『さようなら、大好きだった先生。』

 <第二部 終了>

 先生を好きになってから、2年以上の月日が流れた。どんな事が起こっても彼への気持ちは変わらないだろうと思っていただけに、まさかこんな日がやってくるなんて・・・想像もしていなかった。

「今から迎えに行くよ。何処で待ち合わせする?」


 彼の口から次々と発せられる言葉は、耳を疑うようなものばかりだった。何ともやり切れない想いが私にどんどん襲い掛かってくる。頭がどうにかなってしまいそうだ。


「先生、私達・・・もう2人きりで会わない方がいいと思うんです。」


 恐らく今でも恋焦がれているであろう相手に向かって、突き放すようにこう言った。


 1ヶ月前、友達から真実を聞かされた時よりもズキズキと心が痛む。振られるより、振る方がこんなにも辛いとは思いもしなかった。好きになり始めた頃は、先生と付き合う事自体叶わない願いだと諦めていたくらいなのに、こうして私から別れを告げることになるなんて・・・。自分の意思に反して目まぐるしく変わる現実を、すぐには受け入れられなかった。


 しかし、先生はそんな私の様子に気づくことなく、更に疑問を投げかけてきた。


「どうして?」


 こちらが逆に聞き返したいくらいだ。この期に及んでも尚、別れを渋る理由がさっぱりわからない。奥さんがいて、もうすぐ生まれてくる子供がいて何の不自由もないどころか、取り沙汰される前にこんな関係などいっそ精算してしまいたいと思うのが普通なのに。


「どうしてって、先生はもう結婚してるんだし奥さんだって・・・」


「会いたいんだよ。○○○を抱きたい。」


 理屈なんか必要ない、と私の話を打ち消すように彼ははっきりとこう言った。“抱きたい”という言葉が頭の奥で何度もこだまする。付き合っていた頃でさえ口にしなかったことを、今になって言うなんて本当にずるいと思った。さっきから、胸の高鳴りを抑えることができないでいる。


「だったら。」


 封印したはずの感情が徐々に蘇って来る。思わず本音を言わずにはいられなかった。


「奥さんと別れるって約束してください、それなら会いに行きます。」


 その言葉を聞いた途端、先生は黙り込んでしまった。困惑しているのが雰囲気で伝わってくる。私だって先生を困らせるつもりなんか全くなかった。だが、ここまで追い詰められては本心を晒さずには太刀打ちできないと思ったのだ。


「・・・できるわけないだろう。」


 それはお前だってわかってるはずだろう?とでも言いたそうな口調だった。確かに頭ではわかっている。今更結婚を取り消すなんて誰が見たって無理だし、何より彼自身にそんな気がないってことも。でも、私が期待していたのはそんな言い訳なんかじゃない。それでも好きだ、という気持ちだった。


「なら、会いに行きません。」


 意地の悪いフリをし続ければその内諦めてくれるだろう、そう思った。


「嫌だ、別れたくない。会いたいんだよ。」


 さっきよりもはっきりと、そしてしっかりと否定しながら先生は同じ言葉を繰り返した。


『なんで付き合ってた時に言ってくれなかったの?』


 大きく心が揺らいだ。


 あの日、先生の口から真実を聞くことができたなら、それでも自分は別れたくないと言ってくれたなら、どんなに不毛な恋愛になろうと構わないと思っていたかもしれないのに。今更どうしようも出来ないのだ、もう後には戻れやしないんだから。


 <続く>


 携帯の発信音が鳴り響いている間、私の心の中では様々な想いが錯綜していた。



  どうしてこんな事になってしまったんだろう。

  どうしてこんな辛い想いをしなければならないんだろう?


  私はただ、先生が好きだっただけなのに。

  ずっと一緒にいられればそれで良かったのに・・・


  本当は、別れたくなんかないよ。



 涙が溢れそうになるのを懸命に堪えた。もう、自分でも悲しいのか悔しいのかさえわからない。確かなのは、ここへきて私は未だに先生への未練を引きずっているということ。やっとの思いで突き放すことを決心したのに、またもや迷いが生まれてしまう。


『このまま、電話が繋がらなければ・・・』 


 つい、期待してしまう自分がいた。


 しかしその時、発信音が途切れて電話口の向こうから声が聞こえてきた。まるで、自分は今まで起こった出来事など何も知らないと言うような口ぶりの。


「はい、もしもし。」


 皮肉な事に、思い悩む原因であった先生のその“声”を聞いただけで目が覚めた。


『やっぱり駄目だ、引き返しちゃいけない。』


 失うことの辛さに負けて今会いに行ったとしても、結局何の解決にもならない。あの頃のように、片想いだけ続けてればいいってもんじゃない。どんなに想ってたって、これから先生と一緒になることは叶いやしないのだから。


 そう自分に言い聞かせて、ようやく己を取り戻すことが出来た。


「今日は早く終わったんですか?部活。」


 この時間帯に先生が一発で電話に出るのは珍しかったので、思わずこう聞いた。


「ううん、今日は振り替え休日で学校は休みなんだよ。」


 ふうん、そうなんですかと言いかけた時、こちらの返事も待たないで先生は続けて言った。


「だから、今学校に1人なんだ。」


 来た。その一言を聞いた時素直にそう思った。相手に気づかれないよう、やや抑え目にため息をつく。ここからが本当の正念場なんだ。


「・・・そうなんですか。」


 返す言葉が見つからず、ついそっけない返事をしてしまった。しかし先生はそれを気にする様子もなく、更に直球を投げてきた。


「今から会おう。」


<続く>



『会いに行ったらだめだ、絶対に後悔する日が来る。不倫に足を踏み入れるなんてこと、しちゃいけないんだ。』


 何度も何度も自分に言い聞かせ、友達の意見にも耳を傾け、散々悩んだ挙句にこう決断した。


 もちろんまだ未練はある、忘れられない想いもある。出来ればもう一度会って話をしたい。だけど、これ以上自分の気持ちに従って行動することは出来ないと思った。今は良くても、いずれは何らかのリスクを背負ってしまうに違いない。


 それに、自分の精神的な部分へも多大な影響力を及ぼしかねない。相手の奥さんが気づく事だって大いに有り得る。そうやって常に誰かの目に怯えながら逢瀬を重ね、未来のない恋を耐え切るのは難しいと思ったのだ。このままずるずると関係を続けていけば、先生から離れられなくなる、とも考えた。


 人生経験の浅い16歳の私にとって、「不倫」というものが一体何処まで深いのか想像がつくはずもなく・・・知識も経験もないまま、未知の世界へ飛び込む勇気など到底なかった。「結婚していた」という真実を聞かされただけで大きなショックを受け、高校生活に対してやる気が失せているのに、これ以上のことが起こったら・・・自分は、狂ってしまうだろう。


 この決断が自分にとって正しいのかはわからない。


 しかし、目の前の様々な感情から逃れるには、こうするしか方法が思いつかなかったのだ・・・。


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 別れる時くらい直接会って話をしたかったが、この前の先生の様子では無理矢理押し倒され兼ねないので、電話で済ませることにした。きっぱり断れるくらいの自信があればまだ良かったのだが、今の自分ではそのまま流されそうな気がしてしょうがない。やむを得なかった。

 そして、とうとうその日がやってきた。

 決心が変わらぬうちに、学校の帰り道で先生の携帯へ電話を入れることにした。相手が相手がだけに、家で電話をするのは気が引けたからだ。折角今まで付き合いがばれないよう細心の注意を払ってきたのに、ここにきて親にばれてしまっては元も個もない。余計な心配をかけさせたくはなかったし、何よりこれは自分の問題なのだから。

 小雨がぱらつく街中を通り抜け、路地裏にあるとあるビルの前で立ち止まった。周りにはほとんど人がいない。ここなら大丈夫だろう。

 意を決して、携帯を開き番号をプッシュした。


<続く>


 約3ヶ月もの間ブログを更新できず、読者の方や読んでくれる皆様には本当に申し訳ありませんでした。言い訳になるかもしれませんが、その3ヶ月の間何度も記事を書こうとペンを取っては下書きを重ねてきました。しかし・・・


 実は次の記事に更新しようと思っている内容が自分にとって大事な場面なのですが、なかなか思ったように文章へ表すことができずにいました。いつもこの裏日記を書く際は、紙に下書きを書いてから編集をしてブログにアップするんですが、何回書いても納得のいかない文章になるんですねぇ。

 元々このブログはある意味自己満足で始めたもの。出来るなら納得するまで書きたいと考えています。


 そこで、読んでくださってる方には大変申し訳ないのですが、自分で納得のいく文章が出来るまでしばらくこのブログを小休止させていただきたく思います。とは言っても、下書きは日々綴ってますのでこんなことを言いながら明日には更新するかもしれません。要するに期待せず待っていただければ、ということですね。仕事も時期的に忙しいため、切羽詰って書けばきっと納得のいかない文章になってしまうので・・・


 誠に身勝手ではありますが、ご了承ください。

 そもそも自分はあの場で結論を出さなければならなかったはずだ。「私にはもう新しい彼氏がいる、今更先生と会う理由もないし会う必要もない。」と。自分も先生と付き合っていた時に浮気をしたと正直に打ち明け、再び嘘を重ねるようなことはしたくないときっぱり断るべきだったのだ。頭の中ではそうすることが一番の最善策だと考えたし、正しいことであるという認識もできていた。なのに・・・それなのに、心ではそうすることを拒んだ。むしろ出来ることなら先生ともう一度やり直したいとさえ望んでいる。


 まさに理性と本能の葛藤。


 目の前にある幸せだけを優先して差し伸べられた手を取るのか、長い目で見て絶対後悔するから止めようと心に固く誓うのか。今の私はどちらに転んでもおかしくはない状態だった。傍から見ればただの優柔不断にしか見えないだろうが、本人からすれば深刻な問題でしかない。


―知らない間に結婚していたのは許せない、ましてや妊娠などもってのほかだ。でも・・・先生と離れたくない。このまま終わってしまうのは嫌だ。

 だけど、結婚しているとわかっていつつ付き合うことなんて出来るんだろうか?恐らく付き合えば絶対後悔する日が来る。先の見えない、いや、幸せな未来なんてない恋は精神的にも辛くなるだろう。自分はそれに耐えられるのだろうか?―


 いくら考えても考えても堂々巡りだった。どれが正しいのか、間違ってるのか、自分はどうしたいのかがわからなくなってきた。


 しかし、一つだけはっきりしていることがある。今の自分は先生と身体を重ねたくないと思っていることだ。何故かこれと言った理由は思い当たらないのだが、先生と抱き合っているところを想像すると吐き気さえ感じてしまう。以前は当然と思ってデートの最中に受け入れていた事を思い出しても、鳥肌が立つぐらいだ。

 だからと言って決して嫌いになったわけではない。むしろまだ・・・自分は先生のことが好きなんだと思う。新しい彼氏がいても諦め切れてないからこそ電話をしたんだし、誘いをきちんと断ることができなかった。


 徐々に心のコントロールが効かなくなっている、もうめちゃくちゃだった。


  <続く>



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 こちらからの問い掛け全てに曖昧な受け答えをしていた先生だったが、突然想像もしなかったことを口にした。

 

「また○○○に会いたいな。」

 

 驚きと同時にその言葉の意味がさっぱり理解できず困惑した。『捨てられた』と思い込んでいたのに、今更「会いたい」などと口にするなんて・・・信じられなかったからだ。

 

『もしかして先生はまだ自分に気持ちがあるんじゃないか』

 

 こんな考えが頭の中をよぎったが、一瞬で消え去った。そんなはずはない、浮気をしたのならともかく相手と結婚まで済ませてしまってるのだ。先生は確かに元担任だった今の奥さんを配偶者として選んだ、それは誰にも変えようのない事実である。だったら取り残された私は『捨てられた』と思うのが当然だろう。正式な別れの言葉はもらえなかったにしろ、私達はもう恋人ではなくなっているはずだ。それどころか、もう一対一で会えるような状態じゃないとさえ思っていたのに・・・

 

「えっ、どういう意味です?」

 

「そのままだよ、今先生中学校にいるんだ。」

 

 今まで自分から会うことを促すような発言すらしなかったのに、今日は何故か積極的な先生がいて私を苦しめる。発言から伺うにきっと、中学校に誰もいなくて先生一人なのだろう。付き合っていた当時は好きだとも会いたいとも言われたことなんてなかったのに、どうしてこんな状態になってから私に誘いの言葉を投げかけてくるのだろう。・・・望んでいた言葉だったはずなのに。

 

「会いに行って、何をするんですか?」

 

 もしかしたら、全部嘘だったのかもしれない。本当は結婚なんてただの噂で、ただ先生が素直に気持ちを表現してくれるようになっただけなのかもしれない。他の人に気持ちが移りかけていた私への罰たったのかもしれない。・・・もしそうだったら、幻だったならどんなにいいことだろう。

 

「○○○を抱きたい。」

 

 その言葉を聞いた時、正直に喜ぶことができなかった。むしろ抵抗感すら覚えた。未だに先生のことは忘れられない、例え結婚したからといって自分が好きな気持ちを諦めるような性格じゃないってこともよくわかっている。ともかく声を聞きたかったし会いたいとさえ思っていた、だから今日こうやって電話をした。けれども、何かが違う気がする。自分が心から求めていたものに当てはまらない気がしてならない。やはり、先生に対する気持ちが少し変化し始めているのかも・・・。

 

「今日はだめです、都合が悪いんで。」

 

「じゃあ、また次の機会にだね。わかった。」

 

 返事もろくにしないうちに、先生は電話を切った。

 

 本当に都合が悪いのもあったが、会えば取り返しのつかない状況になってしまう気がして断らざるを得なかった。このまま感情に流されて何らかの行動をしてしまえば後できっと後悔する。第三者に相談して、意見を聞いてからでも遅くはないと思った。自分の気持ちがまだはっきりしていないのに、動くわけにはいかない。それにもし先生の申し出を受け入れて会いに行けば・・・同時に不倫を認めることになる、そう思ったのだ。詳しい基準はわからないが、相手が結婚しているとわかっていて付き合うのは不倫に当てはまるのではないか。こればっかりは、浮気と思って軽い気持ちで会うことはできない。


 この一ヶ月で起きたすべての出来事が、まるでテレビで見るドラマのように思えた。しかし、実際にこうして自分の身に降りかかっている。軽んじて事を見ようものなら・・・跳ね返ってくるリスクが大きいものになるだろう。


  <続く>


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 あれから私の心の中では様々な感情が入り混じって、先生に対する思いも次第に複雑となっていった。もちろん先生のことはまだ忘れられない。だけど二股は許せないし許したくない。でも、もう一度会いたい・・・こんな具合に色んな感情が頭の中を巡り巡っていた。

 そんな中で、とうとう私はある行動へ出た。それは、『カミングアウト』。ある程度親しい中学校時代の友人達に、先生と付き合っていたことをばらしてしまったのだ。

「私、実は半年ぐらい先生と付き合ってたんだ。」

 誰もがその内容に驚いていた。

「片思いしてたのは知ってたけど、付き合ってたなんてわからなかったよ・・・。

 当たり前だ。周りにばれないよう最新の注意を払っていたのだから。唯一全てを知っている友人も、秘密をちゃんと守ってくれた。

 何より友人達が驚いたのは付き合っていたという事実よりも、先生が元担任を妊娠させ結婚したことだった。割と生徒に人気があり、信頼されていた先生だったので、カミングアウトしたことによって皆が持っていたイメージを見事壊してしまったようだった。

「信じられない・・・。」

 大概の人は口々にこう言った。中には激怒してこれから中学校へ殴りこみに行こうという人さえいた。事を荒立てたくなかったので、それは遠慮しておいたのだが。それくらい友人たちもショックだったらしい。まして当事者の私は何倍もショックを受けている。

 自分でもどうしてこんなに悲しいのかわからない。精神的ダメージは大きかった。予想を遥かに上回るどころか、考えもしなかったことが起こったのだから。もう心のバランスはガタガタで、不安定な状態が続いていた。

 幸か不幸か・・・先生へようやく電話が繋がったのはそんな時だった。あれから三週間が経つが、一度も連絡が取れなかったのに。先生なりに時間を置いたつもりなのだろうか。

「久しぶりだね。」

 以前と変わらない先生の声。思わずドキッとしてしまう。

「どうしてずっと電話に出てくれなかったんですか?なんであの時本当の事を話してくれなかったの?一体どうして・・・」

 一旦口を開くと問い詰めるような言葉しか出てこなかった。聞きたいことはたくさんある。そんな気持ちを抑えることが出来ず、私はいくつかの質問を投げかけた。

「元担とはいつから付き合ってたんですか?」

「なんで内緒にしてたの?」

「相手は私が先生と付き合ってたこと、知ってるんですか。」

 他にも思い出せないくらいたくさん聞いた。しかし、先生はほとんどの質問に対して「さぁ?」とか「教えられない」、「言えないな」といった風に返すだけで何も答えてくれなかった。それなら、どうして私からの電話に出たんだろう。言えないのなら居留守なり着信拒否なりすればいいものを、わざわざ電話に出た理由がわからなかった。

 なのに、それなのに・・・こうして久しぶりに先生の声が聞けて嬉しい自分がいた。理由なんてどうでもいい、今先生がこっちを振り向いてくれただけでもいいじゃないか。そう思う自分がいた。

 しかし、逆に先生から冷めていく部分もあるのだった。やはり自分にとって「結婚」という事実は大きすぎる。そこから踏み出せない何か、壁のようなものが立ちはだかって、何らかの行動を起こすことに戸惑いを覚えていた。いつもの自分なら例え相手がいても諦めたりはしないはずなのに。

 私の知らないところで、何かが変わり始めていた。大好きだった先生は、心の中にもういないのだと思った。

  <続く>

 先生が結婚していた、と聞いてからはしばらく何に対してもやる気が起きなかった。学校の授業は集中出来ず、友達といても心ここにあらず、家へ帰ってもぼーっと考え事をするだけ。今まで経験したことのない無気力さだった。

 それでも誰かがそばにいる時はまだ良かった。学校から帰る時だったり、夜寝る時だったりと一人にならざるをえない状況になると自然に涙が溢れてくるのだ。人の前では必死で泣かないよう我慢しつづけるものの、誰もいなくなってしまうと途端に涙腺が緩む。泣いても泣いても終わりが見えない・・・一気に寂しさと孤独感が襲ってくるような気がした。


 自分だって先生を裏切っていたくせに、あまりのショックからいつの間にか先生の裏切りが大きく心を占めるようになっていった。そして、やがて悪いのは先生だと考えるようにさえなってしまう。その状態は去年の春ぐらいまで続いていた。

 ようやく客観的に見られるようになったのはつい最近。自分を棚に上げて都合のいいように取っていたと言われても仕方がないと思う。でもこれだけは分かって欲しい、そうでもしないと心がバランスを保てなくておかしくなりそうだったのだ。いろんな想いが錯綜して既にごちゃ混ぜになっていたから。心を支えていた一番重要な柱がぽっきりと折れて、大きな穴が開いてしまったような感じだ。そこに冷たい風が吹いては、虚しさだけを残していった。


 なにより、本人の口から何も聞かされていないというのが一番堪えた。あれから毎日電話をかけてはいたものの、一向に出てくれる気配はなし。それどころかかけ直してくれることもなかった。問い詰めたいことはたくさんある、でも声を聞くことさえ叶わない。どうしたらいいのかわからなかった。


 そんなある時ふと思い立って、私は夜の中学校へ出向いた。小雨の降る肌寒い日だった、しかしもちろん先生がいるはずはない。もしかしたらという気持ちだけでここまで来たものの、得られたのは何もなく、結局「こうしている間に先生は担任と二人で過ごしているんだろう」という悔しさにも憎しみにも似た想いを感じるだけだった。携帯にも一応電話してみたものの、出る気配すらなかった。


 小雨は止むことなく、ただ静かに、しっとりと降りつづけている。この雨に打たれて、彼との思い出を綺麗に洗い流せたらいいのに・・・


 悔しくて、悲しくて、それでももう1度会いたくて・・・涙が止まらなかった。この気持ちを、一体何処に向けたらいいんだろう。私は、これからどうすればいいんだろう?


  <続く>

 友達から真実を聞かされる三日くらい前だろうか。私はいつものように先生と会っていたのだ。誰もいない夕方の中学校で、人目をはばかって。その時は普通に会話をして、互いの身体に触れ合った。何ら変わったことなんてなかった。先生の口から何か聞いたわけでもないし、「結婚」の二文字すら何処にも出てこなかった。


 あの時既に先生は結婚している身だったという。どうしてそんなに平然としていられたの?どうして直接会ったのに何も話してくれなかったの?人づたいに別れなんて聞きたくなかった。どんなに傷ついても、ボロボロになっても、あなたの口から聞けたら諦めもついただろうに・・・。例えそれが私に対する気遣いから来ていたとしても、そんなのちっとも嬉しくない。こうなってしまった今となっては遅い、遅すぎる。


「・・・大丈夫?」


 電話口で友達が心配そうに尋ねる。大丈夫なわけない、頭が真っ白で何が何だかわかりゃしない。


「何とかね。」


 とだけ返して、担任とはいつから付き合っていたのかを聞いた。しかし、いくら彼女でもそこまで知っているはずはなく・・・


「それが、わからないんだよ。」


 困ったように言った。


「ただ、実は・・・担任が妊娠してるらしくてね。今ちょうど4ヶ月くらいになるんだって。」


 最悪のパターンだ。流行の『出来ちゃった結婚』で2人は結ばれただなんて。しかも逆算すれば、少なくとも4月の下旬に事が起きていたということだ。


 そう、その時期はちょうど私が担任の自宅前で先生の車を目撃した時に当たる。信じられない、付き合って一ヶ月で裏切られていたなんて。いや、そもそもこれじゃ付き合っていたかどうかさえ曖昧だ。この状況からして、どう考えても私が遊ばれていたと見て間違いないだろう。もちろん、信じたくはないけれど。そして恐らく、担任とは私が告白する前から関係があった可能性が高い。


 友達とそんなことを話しながら、自分の中で予想を確信に変えていった。いつもはさばさばしている彼女だが、このときばかりはしきりに私のことを心配してくれた。

 話が一段落したので、一旦その場は電話を切ることにした。後日彼女からはさらに詳しく話を聞くことになるだろう。


 あくまで想像の中だけだったが、私だって先生との将来を夢見たものだ。本気で相手のことが好きだったし、付き合うことができてすごく嬉しかった。なのに、考えれば考えるほど辛くなる。だけど涙は出てこなかった。泣ける気さえしなかった。

 幸か不幸か、その事実を聞いた時私は彼とのデート中で車の中にいた。彼が隣にいたおかげで取り乱す事もなかったし、現実に引き戻された。当の本人は、車を運転しながらずっと私の電話を聞いていた。彼はその時何を考えていたんだろう。


「ちょっと休もうか。」


 そう言って彼が連れて行った場所はあるモーテル。今までずっと行くのを拒んでいたが、今日ばかりはそんな気力さえない。むしろ、流れに任せてどうなってもいいと思った。
 彼はその日、私を抱きはしたものの最後には手を掛けなかった。代わりに優しく抱きしめてくれて、耳元でこう囁いた。


「俺と付き合ってくれるかな。」


 断る理由なんてなかった。


「うん。」


 小さい声で答える。彼は嬉しそうに笑って、そしてキスをしてくれた。


 音を立てて、今までの時間や思い出、気持ち・・・すべてが崩れていく気がした。


  <続く>