もしあの頃、中学の時みたいに先生と毎日顔を合わせ言葉を交わしていたなら、あんなことは絶対しなかっただろう。メールを何週間か交わしただけの、顔も知らないような人に会いに行くなんて、当時の自分によくそんな勇気があったなぁと今でも振り返る度に思う。そうでもしなきゃ寂しさや不安を埋められなかったから、無意識に他の人の温もりを求めるようになったのだろう。寂しさは、時に勝手に暴走して思わぬ方向に足を向けてしまうことだってあるのだ。


 会うと言ったはいいものの、実は約束の日まで断ろうか悩みに悩んだ。いくらメールをしている仲とはいえ、それ以外は何も知らない他人同然のようなものなのだ。当時は写メールもまだ普及していなかったため、当然相手の顔もわからない。しかも相手は私よりだいぶ年上の男性、万が一襲われでもしたら絶対防ぐことはできないだろう。その時期世間ではメル友殺人がニュースで報道されていたため、考えれば考えるほど悪いことしか頭に浮かんでこないのだ。・・・こんな風に、約束の日までの間は様々な考えが頭の中をぐるぐる回っては私を苦しめた。


 しかし、結局断ることもできず約束の日を迎えることになった。相手は離れた街から車で来ていたので、私は知ってる人に見られないように念を入れ、待ち合わせ場所を家からちょっと歩くとある電器屋さんに指定した。電器屋なんて同級生達がしょっちゅう立ち寄るような所でもないので、ちょうどいいと思ったのだった。


 約束した時間に間に合うよう、少し前に家を出て向かってる最中までまだ悩んでいた。


『今ならまだ間に合う、具合が悪くなったとか用事ができたとか言えば会わなくて済むよ。』


 心の中で「わたし」が私にひっそりと囁いた。でも、それも所詮自分への言い訳に過ぎない。相手はわざわざ2時間かけて私の住む街に来てくれたのだ、今更そんな嘘で帰ってもらうわけにもいかない。普段のメールの時はすごく優しくしてもらってるのに、嫌になったからといって断ることはできない。


 あっという間に時は過ぎ、約束の時間になった。待ち合わせ場所についた私は、メールで「パソコン売り場見てるから」と言っていた彼を店内に入って探すことにした。パソコン売り場へ近づく度に、心臓がばくばく言っている。緊張で手が震えた。売り場に差し掛かると、それらしき人がノートパソコンの前で考えあぐんでいるのが見えた。


「あの・・・兄ちゃん・・・?」


 兄ちゃん、というのは敬語が苦手だから勘弁してくれと言った彼の名前を呼び捨てで呼べなかったので、年上という意味を込めて前から呼んでいたものだ。当然血のつながりがあるわけではない。掛け声に気づいたのか、彼はこちらを向いてこう言った。


「あ、初めまして。」


「こちらこそ、初めまして。」


 挨拶したはいいものの、それから言葉が出てこない。その様子を察したのか、とりあえずここで話すのも何なんで・・・と、彼は私を連れ店内を出て駐車場へと向かった。
 後ろから見る彼は聞いていたよりも背が大きいなぁと感じる。恐らく細い体つきをしてるから余計そう見えるのだろう。緊張のせいなのか、余計どきどきしてきた。


 彼の車に乗せてもらうと、小刻みに手が震えてしまう。「車=二人だけの空間」という雰囲気のせいか話し掛けることができず、目をそらしていた。


「ちょうどお昼の時間だし、何か食べにいこっか。何食べたい?」


 緊張でとても食欲なんか湧いてこなかったが、かといって他にすることもない。ここは相手に従って「モスバーガーが食べたい」と言って連れてってもらうことにした。


 その移動中に、気を遣ってくれたのか一生懸命彼は自分のことを話してくれた。途中、「そんなガチガチに緊張しなくてもいいよ(笑)」と声を掛けてくれて、少しでもリラックスさせようとしてくれたりもした。彼が言うに、私の住む街へは何度が来たことがあるものの、結構前のことなので変わったが所多々あり迷いそうになったらしい。モスバーガーに行きたい、と言った時も案内を頼んだぐらいだから頻繁に来ているわけではなさそうだ。こんな感じで、たわいも無い会話をずっと交わしていた。


 無事モスバーガーに着きドライブスルーで購入した後、そのまま海へと向かう事になった。それを提案したのは私、当然案内も私だった。道案内をしているうちに2人でいることも段々慣れてきたのか気軽に話せるようになった。いつもそうなのだが、最初は極度に緊張するものの、たいして時間もかからずに親しくなる事が多いのである。


 海に着くまで、私たちはまたお互いのことについて話をした。やはりメールじゃ伝わらないこともあり、話題が尽きることは無い。話していると次第に彼に好印象さえ抱くようになった。同じように相手も気に入ってくれたらしく、その言葉を聞いた時胸がどきっとした。何故どきっとしたのかはわからないが。

 30分程車を走らせていると、よやく目的地の海に着いた。適当なところに駐車してハンバーガーを食べる事に。私は紙袋の中から彼の分を手渡すと、


「ちーの分も持っててあげるからよこして。」


 と言われた。言うとおりにして手渡す。ポテトをダッシュボードに置いたところで、さぁ食べようかとウーロン茶を口に含んでのどを潤した。


「はい、あーん。」


 え!?と言いかけ彼の方を振り向くと私の頼んだハンバーガーを包みから出してにこにこ笑っていた。


「い、いいよ。自分で食べられるもん。」


「遠慮しなくていいって。ちーに食べさせたいだけだからさ。」


 何回断っても彼は断固として譲ってはくれない。渋々彼の言うことを聞いてハンバーガーを食べようとするが・・・なんと言っても恥ずかしいことこの上ない。しかし、口では彼に敵いそうもないので、仕方がなく勢いに任せてがぶっとかぶりついた。
 それから食べ終わるまでずっと彼に食べさせてもらった。私もしてもらうだけでは悪い気がしたので彼に食べさせてあげたりと、まるで恋人同士のような時間を過ごした。


 お昼ご飯を済ませた後、私達はリラックスも兼ねて社内でしばらく話をした。高校のこと、彼の仕事のこと、お互いの住んでる街について・・・

 その中で恋愛の話も出てきた。彼の方は「少し前に2年間付き合った彼女と別れたので、今はフリー」だと言う。相手が正直に言ってくれたのだから、自分のことを隠すわけにもいかない。なので、ありのままを時間をかけて話した。『先生と付き合っている』こと自体珍しいせいか、終始相手は驚いた様子だった。


 不思議な事に、話題として先生の話をするまでは一度として頭の中に先生のことを思い浮かべることはなかった。普段は苦しいほど先生のことを想っているのに・・・少しだけ罪悪感を覚えた。自分には彼氏のいる身、それなのに散々迷ったとはいえこうして他の男性に会いに行くだなんて、私は一体何をしているのだろう。

 長かったような短かったような、そんな時間もそろそろ終わりを迎える。私が家に帰る時間になった。


「また、会えるよね?休みになったら会いに来るからさ。」


 帰り際、彼が私の手をつかんでこう言った。真直ぐにこちらを見つめる視線を逸らしながら、答えに決めあぐんでいると彼が口を開いた。


「彼氏がいても気にしないよ、会ってくれるだけでいいから。」


 その言葉にどういう意味が込められているのか、理解はできたが敢えて聞き返さなかった。さっき罪悪感を感じていたはずなのに、『もう会わない』という言葉が自分の口から出てこない。むしろ、また会いたいとさえ思い始めていた。ちょっと考えた私は、車から降りる時にこう答えたのだった。


「また会ってどっか行こうね。」


 ・・・先生、ごめんなさい。少しでいいから、寂しい想いを忘れさせる時間が欲しいの。


  <続く>