生徒や先生の姿が一人も見えない学校というのは、普段とは全く違いまるで火か消えたようだった。しんと静まりかえった校舎が夕陽に照らされて佇んでいるのみ。それが何処か不安さえ感じさせる。
生徒玄関は当然閉まっていたので、中央にある職員玄関からこっそり入った。その時つい誰かに見られていないかと辺りを見回したが、学校の周りはおろか道路に車さえ通らなかった。
私は一旦生徒玄関に行って内ばきを取りに行こうかと躊躇ったが、結局靴下のままで階段を上がっていった。別に誰が見ているわけでもない、この建物の中には私と彼しかいないのだから。
階段を上って三階に出ると、学校生活を送っていた自分達の教室が視界に入ってきた。懐かしさを感じたものの、何処か寂しさが漂っているような気がした。
以前にもそうしていたように、先生は音楽準備室で待っていなさいと電話で話していたのでドアを開けて中に入った。ここは何故かいつも黒いカーテンを閉めきっていて外から中の様子が見えないようになっている。きっと吹奏学部が楽器を置く場所として使っているので、保存のためにそうしているのだろう。
それにしても朝でも薄暗く感じるこの部屋は、夕方に電気もつけないでいるとだいぶ暗い。おまけに誰もいないので静かなのが逆に気味悪ささえ感じさせてしまう。
と、突然、
『ガラッ!』
というドアの開く音がしたのでびっくりした。そちらの方を振り向くと、先生がそこに立っていた。
「なぁんだ、先生かー。びっくりしましたよいきなり開けるから。」
心臓の脈が早くなる。驚いたからだけじゃない、少しの間見ていなかった先生に会うことができたから…。
「久しぶりだね、元気にしてた?」
寂しさが広がっていた私の心に、その言葉は深く響いた。思わず泣きそうになるのをこらえながら、こくんと首を縦に振った。
それから私たちは前のようにたわいのない会話を交わした。休みの時はどうしていたとか、高校の話が殆んどだったが。
何分かそうしていると、先生が私の目をじっと見て少し微笑んだ。視線を下に移すと…両手が差し出されている。久しぶりに見る、この合図。私は誘われるかのように、自分の手を差し出した。すると先生は力を入れて自分の方に私を引き寄せた。
こうして抱き締められるのは、会ってない期間よりもさらに長い。でもそれは受験やら卒業式の準備やらがあったからで、二人きりになれる時間がなかったのだ。
先生の腕に少し力が入る。こんなに近くにいてドキドキが聞こえてやしないかと私は少し恥ずかしくなった。
その時だった。
何が起こったか一瞬わからなくなった。体が右の方に傾くようにして倒れ込んだのだ。はっと気付いた時には、先生に…押し倒されたのだということがわかった。
脈拍が更に速くなる。頭が真っ白になり、何も考えられない。
前を見ると、彼がいつもとは違う顔で下に敷かれている私を覗き込んでいた。それを見た途端、急にすごく恥ずかしくなって思わず右腕で目を隠してしまった。これ以上先生の顔を直視できない、そう思った。
私だって、この状態で次に何が起こるかぐらい知らないわけではない。でも…
先生に告白してからいつかはこんな日が来るだろう、と何回も頭の中で想像してきた。一応、覚悟はしてるつもりでいた。だけど…まだ心の準備ができていないのだろうか、無意識に体かそうなることを拒否しているのだ。先生としたくないとかそういうことではなく、ただ怖かったのだ。
触れようとしている先生に耐えきれなくなって、私は倒れた状態から上半身を少し起こして、しがみつくような体勢を取った。ほんとに無意識だったが、何故か今はこうしなければという思いに駆られた。
私のその行動を見て、彼は跨っていた体勢から体を起こし、私の腕を掴んで立たせてくれた。きっと私が嫌がっているというふうに捉えたのだろう。そうではない、と否定したかったがあんな行動の後では何も言えなかった。
タイルの床の冷たさだけが、感触として残っていた。
<続く>