高校受験の日。私は推薦を落ちてしまった為、一般受験を受けざるを得なくなった。しかし「推薦落ちた人は一般で受かる」というジンクスを噂で聞いたのもあり、また彼の存在もあったので落ち込むことなく今までちゃんと勉強することが出来た。後は、本番で全力を出し切るのみ。


 当日、受験者の多い学校には学年から引率の先生がついてくるのだが、残念ながら私が受ける学校の引率は彼ではなかった。でも大丈夫、実は前の日先生が朝に会いに来て「頑張れ。」と励ましの言葉をくれたから。


 そして・・・


 中学校の卒業式。


 高校の合格発表は次の日に控えている。みんなドキドキしながら卒業だ。結果が気になって卒業式どころじゃないのかと思えば、殆どの人が目に涙を浮かべていた。


 私はというと・・・卒業式が終わってもちっとも涙なんて出てこなかった。いくら「会えたらいいね」と言われても、当然これから先生とは今までのように会えなくなるのに。寂しくなるはずなのに。

 何故涙が出なかったのか、その理由は自分でもよくわかっていた。中学は本当に自分の中で辛い時期だったからだ。楽しかったことも多々あったし、先生と出会えたことに関してはよかったと思っている。でもそれ以上に辛かったのだ。たぶん彼の存在が大きかったからこそ今までやってこれたと言える。三年間通った思い出の中学と別れるのは確かに寂しいけれど、安心感の方が勝っていた。


 そんな卒業式の日にも、いいことがあった。式が全て終了し、最後のホームルームも終わって卒業生全員で玄関外にアーチを作って並んでいる後輩、先生方や保護者のところへと行った。彼はクラスの担任を受け持っていなかったため、予め玄関に並んでいた。


 彼は生徒ではないので、卒業式にありがちな「第二ボタンをもらう」ということができない。それならば・・・と私なりに前から憧れていたことを実行した。


「あの、先生。」


 私は職員玄関の前に立っている彼に声を掛けた。


「一緒に写真撮ってもらえませんか?」


 普段は頼めないようなこと、それは一緒に写真を撮ることだ。卒業式ならみんな他の先生達と一緒に写って撮ってる人が多いから、頼んでも怪しまれないと踏んだのだ。


「いいよ。」


 あっさり先生はオーケーしてくれた。やった、これで先生の写真が持ち歩ける!
 と喜びに浸っていたら、前に同じクラスだった友達がこっちにやってきてこう言った。


「何々、先生と撮るの?私も一緒に写りたい!」


『邪魔すんな。』


 なんて当然いえるわけが無い。私は心の中で泣きべそをかきながら渋々承諾した。


「あ、ちょっと○○○に渡したいものがあるんだ。」


 写真を撮り終えて先生が私に声をかけた。何だろう・・・そういえば昨日はホワイトデーだったからお返しかな?と、想像していたら、先生は後ろからカバーの掛けられた本と、小さなお菓子を取り出した。


「はい。」


 私だけか!?とその時喜んだものの、後から先生の方を見たら他の人にも渡していたのでショックだった・・・。

 

  <続く>

 バレンタインデーから数日が経ち・・・気持ちはようやく落ちついてきたものの、起こった出来事がまだ信じられないでいた。


『先生とこれからも、会えるんだ。』


 そう考える度に顔が赤くなり、色んな想像が頭を巡る。今までに無い幸福感を味わっているような気分だ。
 彼のことで頭がいっぱいだったが、高校受験の勉強は手を休めたりしなかった。その理由は、自分の志望している高校に受からなければ先生が「やっぱり会わない」と言うのではないか、という不安があったから。高校受験に落ちてしまっては話にならない、と先生はきっと思うだろう。折角チャンスを掴んでおきながら、手放してしまうなんてまっぴらごめんだ。

 二月中は先生が朝早く私に会いに来てくれた。たぶん三月になったらさすがに来ないだろう。


 話はかわって、ある日の放課後のこと。

 私は教室から鞄を持って帰ろうと出ると、見覚えのある二人の姿が生徒会室から出てくるのを見かけた。三年生はもう既に生徒会を引退、しかも今は活動はあまりないはずだ。おかしいな、と思い目を凝らして誰なのかを確認しようとした。


「あれ、あの二人は・・・?」


 一人は私の友達、もう一人は・・・私が一年生の時に好きで、初めて告白した男子。何をしてるんだろう?と思っていたが二人の様子を見てピンと来た。


「もしかして、告白したのかな?」


 友達の方はうつむき加減でやや顔が赤い。一方、男子の方は戸惑った様子でぎこちなく歩いている。彼は元から女子にもてる人で、度々告白されたという話を聞いたことがある。私が好きだった頃もライバルが多くて大変だった。

 しばらくその頃のことを思い出していたら、何だか後味の悪いもやもやが、私の心の中を覆った。


『もしかして、嫉妬?』
 
 そんなはずはない、今は先生が好きだし男子とはいい友達だ。でも、このもやもやはどう考えても嫉妬によく似たものだ。
 自分の心なのに、わけがわからなかった。どうして今更嫉妬などするんだろう。あの時、想いを遂げられなかったから、未練が残ってこんな気持ちになるのか・・・


 その日は家に帰っても、なかなか眠れなかった。


 次の日。
 いつものように朝早く学校へ行くと、先生が私のところへ会いに来てくれた。


「どうした?」


 ちょっと様子が違うことに気付いたのか、先生は私にこう聞いた。私は昨日の出来事を包み隠さずに彼に話した。もやもやが取れなかったため、藁にもすがる想いで喋ってしまった。この前「先生が好きだ」と言ったばかりなのに、何だか矛盾している。


 どんな反応を示すんだろうと恐る恐る彼の様子を見ていたら、特に変わるでもなく、優しく自分の話を聞いてくれた。何が悪いともいいとも言わず、ただ黙って聞いてくれた。


 話し終わった後、先生はやはり何も言わず抱きしめてくれた。
 するとどうだろう、さっきまでもやもやしていたはずの心がすっと晴れていったのだ。不思議に思ったが、自分はやはり先生のことが好きなんだと確信できたのだった。


  <続く>

 ある生徒が先生に恋をする、ドラマや小説などでよく見かける内容だ。しかし、それらは所詮作り話。現実ではそう簡単にうまくいかないし、ましてやハッピーエンドなんて迎えられるのはほんのごく少数だ。殆どは『若気の至り』として自然消滅し、思い出として自分の中で処理されてしまう。


『叶わないとわかってるけど、それでもこの気持ちだけは伝えたい』


 そしてようやく自分の気持ちを伝える瞬間が来た。


「先生がここに来る前に赴任してた学校でね・・・」


 私が想いを伝えてから何分かして、先生が突然口を開いた。それまで黙っていた時間は、永遠のように長く感じられた。


「同じように、先生のこと好きだっていう生徒がいてね。」


「は、はぁ・・・?」


 何を言うのかと思ったら、いきなり過去の話をしてきたのでびっくりしてしまった。


「その子も先生に好きだって言ったんだけど、結局その後他の同じ歳の男の子好きになったんだよ。」


 先生が遠まわしに何を言いたいのかがわかった。つまり、「今は先生のことが好きでも、やがて同じ年頃の男の子を好きになっていくだろう」と考えているのだ。
 要は、歳の離れている自分よりもっと魅力的な男の子が近くにいるんだから、先生のことは諦めなさい、と言いたいのだろう。なるほど、私を酷く傷つけない断り方かもしれない。


 しかし・・・どんなことを言われたって、結局私は傷つくだけだ。叶わないとわかっていても・・・やはり断られたら泣きたくなるだろう。これも失恋なのだから。


「・・・たらいいね。」


「え?今なんて言いました?」


 『断られる』ということしか頭に無かったので、既に先生の言葉を拒否し始めていたのか、耳に入ってこなかった。


「だからね、高校に入ってもたまに会えたらいいね。」


「はい、ってえ!?」


 「会えたらいいね」その言葉が示している意味は一体なんなのだろう?もしかして・・・と期待が頭の中をよぎった。


「それってつまり、先生とこれから二人きりで会えるってことですか?」


 どうあがいても中学校でこれっきり、先生と二人きりではもう会えないと思っていた。ましてや、付き合うことも・・・


「○○○がよければ、時間がある時先生の携帯に電話するといいよ。暇な時に会えるかもしれないし。」


「ほんとですか!?」


 思わぬ彼の言葉に私は狂喜乱舞。これからも先生と会えるということ、そしてまだ彼のことを好きでいていいという事実が私の心を躍らせた。

 だが、私はこの時一つのミスを犯していた。喜びのあまり気付かなかったのだが、私は後々そのせいで後悔するとも知らずに先生への想いに酔いしれていた・・・


  <続く>

「私、二年生の時からずっと、先生のことが好きだったんです・・・」


 今までずうっと心の中で思い描いていた言葉だったのに、いざ口にしようとするとすんなり出てきてはくれない。


『好き』


 こんなに短くて簡単な言葉なのに、どうして声に出そうとすると不安になって、緊張して・・・なかなか言い出せないんだろう。ようやく言えた「好き」でさえも、口にした途端抱いている気持ちと違和感を感じるのは何故なんだろう?


『そうじゃない、こんなのは私が想ってる気持ちじゃない』


 「好き」だけで伝わらない気持ちを持て余してしまう、それがとてももどかしい。言葉は、時に役割を果たしてはくれない。


 恐る恐る先生の方を見た。繋いでいる手が一層震えてしまう。彼は、私の方を見て優しく微笑み、ゆっくりと口を開いた・・・


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 バレンタインデーの朝、私はいつものように朝早くに家を出て学校に向かった。今日は、鞄と一緒に小さな紙袋も持って。もちろん中身は、先日一目見て気に入り購入したあのチョコレート・・・大事に大事にとっておいたもの。それが今日、これから先生の手に渡されるのだ。 


 いそいそと学校に向かって歩いている時、「見てみたい!」と言っていた友人達の会話を思い出した。
 あれから私はどうやって二人きりで邪魔されずに渡せるかと一生懸命思案した。やはり友人達には悪いが、大事な時に邪魔はされたくない。そうやって頭を巡らしてるうちに、ある一つの考えが浮かんだのだ。

 普段は長く感じられる通学の道のりも、今日だけはあっという間に過ぎていったかのようだった。すぐに学校に着いた。思ったとおり、ちゃんと先生の車が外に停めてある。私は急いで玄関から職員室の方へと走った。


「先生っ。」


 いきなり職員室の戸を開けたためか少々びっくりした顔で彼はこちらの方を向いた。


「あの、5分後にいつものところへ必ず来て下さい!」


 先生の返事も聞かずに私は戸を閉めて一目散に教室へと走っていった。


 鞄を教室の自分の机に置いて、音楽室のいすに座る。ひたすら先生が早くここに来てくれることを願いながら。


 私が考えていた案、それは友人達に話してしまった時間より早く渡すこと。幸い機転が働いて少し遅い時間を話しておいたが、いつ来るかわからないものを予定通りに行うわけにもいかない。

 その時・・・


「おはよう。」


 先生が来てくれた。私は、持っていた紙袋を膝の上に置いて、先生がいすに座るのを待った。彼は座った後私の手をいつもと同じように握ってくれた。高鳴る心臓をなんとか抑えて、私は先生にこう言った。


「あ、あのっ!私、先生に伝えたいことがあるんです・・・」


「なんでしょう?」


 ついにやってきた、この瞬間が。少しの沈黙の後、勇気を振り絞ってこう言った。


「私、二年生の時からずっと、先生のことが好きだったんです・・・」

 

  <続く>

 バレンタイン数日前。


「ねぇねぇ、○○○ちゃん先生にチョコあげるんでしょ?」


 先生に片思いしてることを知っている友人のうちの一人が、私にこう聞いてきた。


「うん、あげると思うけど・・・」


 思うけど、じゃない。絶対あげるって前から決めてたんだ。今からそんな弱気でどうするんだ、自分は。


「私さぁ、○○○ちゃんが先生にチョコあげる所見てみたいなー。」


「えっ!?」


 その友人は意外なことを口にしたので、私は驚いてしまった。


「なになに、どうしたの?」


 と、こちらにやってきたのは先生との間に起こった出来事をすべて知っている、と前に紹介した友人。思わずすがるような目で私は彼女の方に視線を移した。だが、そこにいた友人から話を聞いた彼女は、目を輝かせながらこう言った。


「私もみたーい!」


「・・・。」


 困ったことになった。止めてくれるだろうと思われた当の彼女が話を聞くうちに一番乗り気になっている。そういえば彼女は他人事には好奇心旺盛だってこと、すっかり忘れてた。


 それから私は二人にいつ頃渡すのか、何処で渡すのかを無理やり聞き出されてしまったのだった。もちろん二人は見に来る気満々で「大丈夫、こっそり見に行くから。」と言ってはいたものの、先生にそれがばれる確率がないとは言えない。他の生徒にみられたことで、先生が私から離れていくなんて・・・考えられない。
 ただでさえ人を避けるために朝早くに会ったり、教室に入る時も誰かいないかいつも確認する程用心しているのに、その先生が気付かないわけがない。


「どうしよう・・・。」


 友人達には悪いが、出来れば二人きりで渡したい。ただチョコを渡すだけではなく、二年間自分の心にずっと秘めてきた想いと共に渡したいのだ。そうしなければ、受験まであと一ヶ月切ってしまった今の時期、二人きりで告白など出来るチャンスはもう回ってこないはず。きっと彼も「勉強に集中しなさい」と言って、これまでのように朝には会いに来ないだろう。あくまで推測なのだが。

 例え友人達が先生に見つからなかったとしても、『誰かに見られている』という意識で自分の告白が失敗してしまっては元も子もない。


 バレンタインデーを控えた週の日曜日。私は近くのショッピングセンターにチョコを買いに行った。さすがに受験も控えているとあって、手作りは断念した。


 色とりどりのチョコレートが棚の上にぎっしりと並んでいる。どれにしようか迷ってしまう程の数の多さだ。ふと、目に付いたのが青い色の箱に6つ並んで入っていたハート型のチョコレート。それは当時人気があった「生チョコレート」で、口当たりがよく、おいしいというのは私も知っていた。


『ハート型じゃちょっと恥ずかしいかな・・・』


 と、思いつつも手に取っている自分がいた。


  <続く>

 『愛があれば歳の差なんて』という言葉を何処かで耳にしたことがある。互いに思う気持ちさえあれば、年齢という名の障害など乗り越えられる、と。


 もしその言葉が本当ならば、私にだってチャンスはある。だって先生を好きな気持ちは誰にだって負けないのだから。他の生徒にも、当然担任にも。
 私自身、恋愛に年齢など関係ないと思っている。先生を好きになってから考え方が変わってしまったのかもしれないが、今では頭の中がだいぶ柔らかくなったような・・・そんな感じがする。これもきっと、先生の影響だ。


 今まで担任の噂は敢えて気にしないようにしてきたつもりだった。これまで担任には何かとお世話になったし、中学三年生という時期はここに書いていないが結構つらい時期でもあった。ピークは中学二年だったので中学三年はそれほどは酷くなかったものの、えこひいきではないが色んな場面で心配してもらい、可愛がってもらったのだ。出来れば、嫌な感情は持ちたくなかった。


 しかし・・・


 そんな一時の感情に流されてこの恋から引き下がるわけにはいかない。自分も本気なのだ。学校と恋愛は別物。友達からの話を聞いてから、一層そう感じるようになった。


 正直、担任には負ける気がしない。と、いうのは今までの先生の自分に対する態度を見れば明らかだろう。


 もうすぐ、バレンタインが来る。・・・自分の気持ちを伝えられる日がやってくるのだ。受験なんて関係ない、とりあえずチョコレートを準備しようかなどと、勉強そっちのけで一ヶ月前から想いを巡らしていた。


  <続く>

 あれから、あの出来事が私の頭の中を離れることはなく、姿を見かける度抱きしめられた時の先生の切なそうな顔が思い出されて、身体が熱くなるのを感じた。また、授業中などに思い出してはついつい顔がにやけてしまう。前までは家で勉強すると全然集中できなかったのに、むしろ今は学校でやる方がちっとも集中できやしなかった。新たな悩みの種が増えた。


 当の本人は、何事もなかったかのように今までどおり自分に接してくれている。しかし用事さえなければ毎日、朝早くにちゃんと私にも会いに来てくれる。さすが先生、いや、大人だなぁと感心してしまった。


 何も変化がないと思われた先生にも、一つだけ私でも気付ける変化があった。朝二人きりで会うときに先生の行動がどんどん大胆になってきた事だ。
 今までせいぜい手をつないで話すぐらいだったのが、簡単な会話を交わしたあとに両手を広げてくる。それは「抱きしめる」合図。この前のように私が近くに行けば、先生が私の手を掴んで引き寄せ、抱きしめてくれる。それから5分くらいずっとそのまま、言葉も交わさずにそのままだ。


 一つ、二人の間にある線を越えてしまったような気がした。




「それで?抱きしめられたの?」


 ある体育の時間。試合を見学していた私は、隣にいた親友にこう聞かれた。


「そうそう!もーほんとにドキドキしたっつーの!」


 彼女は唯一先生との間に起こった出来事を知ってる友達だ。「先生のことが好き」という事は友達何人かに話してはいるものの、さすがに「抱きしめられた」と言うのは気が引けたので、信頼できる彼女にだけ話した。余計な噂が立っては、うまくいくものもうまくいかない。


 ほんとは相談した友達に話さないというのは裏切ってるような気がして嫌だったのだが、この場合は仕方がない。もう少し状況が落ち着いてからでないと、自分もそうだが先生にも迷惑をかけるし、嫌われることにもなりかねない。ここまできてそんなことは断じて避けたいのだ。


「っていうかさ、聞いたんだけど親に。」


 彼女が突然遮るように言った。


「うちの担任、やっぱ先生のこと好きみたいだよ。この前PTAと先生達で飲み会があってうちの母が行ったんだけど、なんか先生の隣に座って楽しそうに話してたって。」


「やっぱし?」


 心臓の辺りがむかむかした。ふざけるな、不公平だぞ・・・


 うちの担任は前から彼のことが好きだという噂があった。もちろん確証はない。しかしあまりにわかりやすい態度を取っていたため、とてもそうじゃないとは思えない。担任はうちのクラスで彼の話ばかりするのだ。学年主任がどうだのこうだの、と話すので噂になるのも当たり前だ。


「まぁ気をつけた方がいいかもね~」


 彼女が面白そうに言った。


  <続く>

 約束していた週末が来た。私は勉強道具を持って、午後の2時ちょうどに学校に入った。そして、この前のように自分の教室へと向かう。


 実は勉強していたときの様子は、あまりよく覚えていないのだ。その後に起こった出来事があまりに印象的過ぎて、恐らく勉強した内容も、瞬時に吹っ飛んでしまったことだろう。たぶん、この前のように先生と時々話しながら、勉強をしていたんだと思う。


 そうやってこの前のように勉強をし、同じような時間を過ごしていたらいつの間にか帰る時間になった。辺りはだんだん夜を迎える準備をしている。窓から外を見ると、昼間に見かけた先生達の車がいなくなっていて、彼の車だけがそこにぽつんと残っていた。


「帰ろうか。」


 先生が教室に来て言った。


「はい。」


 断る理由なんてない。ほんとはもう少し一緒にいたいが、そんなこと言ってたらきりがない。黙って先生の後ろについていき、階段を降りた。


「玄関から靴取って来て、職員玄関に来なさい。送ってあげるから。」


 と言って、先生も荷物を取りに行った。私は予め中靴を脱いで手に持ち、ぺたぺたと玄関まで歩いていった。冬なので、いくら靴下を履いていても廊下がいやに冷たく感じる。すると突然、


「ごめんくださーい!」


 という声が誰もいない校内に響き渡った。びっくりした私は慌てて玄関の隅に隠れた。なにやら先生と話している声がかすかに聞こえる。私は見つからないようにと奥でじっとしていた。
 5分ほど経っただろうか、話し声が聞こえなくなり、外の方で車のドアを閉める音がした。先生が帰ったのか!?と思い慌てて顔を出すと、玄関の方に向かってくる先生の姿があった。


「誰だったんですか?もう行きました?」


 小さな声で私は先生に聞いた。彼は何も言わずに、玄関の近くに立った。『なんだ、どうしたんだ?』と思っていたら、彼は予想もしない行動に出た。

 彼は黙ってこっちを見つめながら、両手を開いた。


「え・・・?」


 いつもの、ふざけた時にやるのとは違う真剣な瞳。一瞬、時が止まったような気がした。


 私は持っていた靴を下に落とし、ちょっと照れ笑いを浮かべながら先生の元に向かっていた。まるで、吸い込まれるように。夢だと思った、絶対に「冗談だよ。」って交わされる気がした。

 気が付いたら、私は先生の腕にぎゅっと抱きしめられてれていた。自分も先生の背中に手を回す。


「先生のこと、軽蔑する?」


 ささやくような小さい声で、彼が言った。


「しません・・・」


 するわけないじゃん、という言葉まで言えなかった。それくらい頭が回らないほど、ドキドキしていた。自分の顔の近くに先生の顔があって、耳に息がかかりくすぐったくなる。ほっぺにすりすりされて、ひげがあたると『ああ、今ここに先生がいるんだな』と実感できた。 
 

 どれくらいそうしていたんだろう。頭が真っ白になっていて、さっきまでのことが思い出せない。かろうじて自分の腕時計をちらっと見ると、だいぶ遅い時間になっていた。


「先生、もうそろそろ帰らないと・・・」


 残っている力を振り絞るように、私は彼に言った。


「うん、そうだね。」


 先生はゆっくりと私から手を離し、そしてにっこりと微笑んだ。


「帰る準備してくるから。」


 先生は再び職員室の方へと歩き出した。私は、床に落とした靴を拾い上げて職員玄関の方に向かった。頭がぼーっとしている。何も考えられない。


 職員玄関につくと、先生はまだ来てはいなかった。靴を履いて外に出ようとすると・・・突然、膝ががくがくと震えだした。今までにない震えが襲う。自覚はなかったが、たぶんとてつもなく緊張していたのだ。無理もない、男の人にあんな風に強く抱きしめられたのは初めてだったから。


 忘れたくても忘れられない、そんな日になった。


  <続く>

 あれからというもの、初めてのデートのことが頭から離れず、冬休みはやっぱり受験勉強に集中できなかった。車の中でずっと握ってくれていた彼の手の温もりが、今でも残っている。


『どうなるのかな、これから・・・』


 ここまで来てふと、自分がこれから取るべき行動が見えなくなった。『いつか告白しよう』そう決めていたが、自分の想いを伝えることで今のこの状態が壊れてしまわないかとても不安だ。あまりに幸せすぎるから、この状態を逃がしたくないのだ。いつの間にか私は欲張りになってしまったらしい。


 でも、はっきりしないことが大嫌いな私のことだ、迷っていたって結局は先生に告白する。自分でわかっていた。


 そんなことを考えているうちにあっという間に冬休みは過ぎ、最後の中学校生活になる三学期が来た。中学三年生は受験が二月、三月と控えているため、学校に来ても授業らしきものは殆どせず、ひたすら模試をこなすだけの毎日となった。つまらない日々、でもやらなければ高校に入れない。


 勉強漬けになっているある日、廊下で先生に会った。


「ちっとも勉強すすみませ~ん。」


「困ったねぇ、それは。」


「何かいい方法ないですかね?」


「そうだなぁ~、今週の休みにまた学校へ来る?」


 思ってもみないチャンスが到来した。


「はい、また行きます~」


 この時、私はその日に何が起こるかさえ予想もしていなかった。ただ普通に勉強して先生と話して帰る・・・そう考えていたのだが、二人の間の何かを変える出来事が待ち構えていたのを、私は知らないでいた。


  <続く>

 靴を履いて急いで先生の車の方に行くと、彼が運転席の窓からひょっこり顔を出した。


「乗って、行くよ。」


「ちょっと待ってください。」


 幸い親は仕事でいない。家には妹達がいたが、適当に「出かけてくる」と言い鍵を掛けて、再び車の方へ向かった。先生は「ここ、ここ。」と助手席の方を指差す。私は先生に従い、助手席のドアを開け「失礼します」と言ってそこに座った。久しぶりの先生の車・・・


 車内では音楽がかかっていた。何の音楽かというと、


「あ、槇原敬之!」


 そう、私の好きな歌手。前に「槇原敬之の曲すごく好きなんですよ~」と話したのを、先生は今でも覚えていたのだ。もう何ヶ月も前の話なのに、ちゃんと覚えていてくれたことで一層嬉しくなった。


 うろ覚えでしかないが、車の中では緊張して殆ど話せなかった気がする。学校から家まで送ってもらったことは何回かあったものの、プライベートではもちろん初めて。しかも、行き先は先生しか知らない。「どこ行くんですか?」と聞いてみるものの、さっきから先生はその質問に答えてくれない。ドキドキするけど、ちょっぴり怖い。


 そうこうしてるうちに、どっか細い道を通っている。こんな道は今まで通ったことがない。一体、どこに行くんだろう?


「着いたよ。」


 先生が車を降りる。そこは・・・


 小さな公園だった。ほんとに誰も知らないような小さなところで、人の姿も見当たらなかった。慌てて私も車を降り、先生の後ろに付いていく。その先には小さな展望台があった。後を追って階段を昇る。


「わぁー、すごーい!」


 そこから見下ろしてみると…海が一面に広がっている。誰も知らないような小さな公園なのに、景色は抜群だった。


「ここによく来るんですか?」


「前に来たけど、最近来てなかったよ。」


と、言って先生は車の方へと歩き出す。私も、その後についていった。


 その後、車に入っていろんなことを話した。例によって内容は覚えていないが、話してる時、ふとこんな話題になった。


「好きな人と、手が繋げたらいいですよほんとに。」


 舞い上がりすぎて、何故か先生と話してた内容が恋愛話へと発展していたのだ。「好きな人と何をしたいか」について、私は熱く語っていた。すると・・・


「こんな風に?」


といって、先生が私の右手に手を置いてくれたのだ。一気に顔が赤くなり、私は一瞬黙ってしまった。それからちょっと間が空いてから、


「は、はい。」


とだけ答えた。


 それからずっと帰るまで、先生は私の手を握ってくれていた。忘れられない、好きな人との初めてのデートだった。


  <続く>