皮肉にも、その事実はメールの彼とのデート中に知った。9月に入って間もないある日だった。


「あのね、さっき聞いたんだけど・・・先生が、先生が結婚したんだって!」


 上手く頭が回らない。一拍置いて、ようやく「はぁ?」とだけ聞き返すことができた。何言ってるの、先生とはついこの間会ったばかりだよ?と、心の中で何度も繰り返しているのに声にならない。


「今日、学校で先生から発表があったらしくて・・・妹は授業の最後に聞いたって。先月末からもう籍を入れてるらしいの。」


 友達が電話口で慌てたように話す。私はというと、携帯から聞こえてくる事実を一つ一つ頭に残すだけで精一杯だった。内容の意味は未だ理解できずにいる。いや、受け入れられないとでも言うべきだろうか。信じられない、信じたくない。だけど、思い当たる節がないわけでもなかった。


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 あれは、高校に入学して1ヶ月も経たない頃だっただろうか。たまたまその日は親が帰る時に車で迎えに来てくれたので、ついでに買い物も行こうということになったのだ。スーパーへ向かうその途中に、事件は起こった。

 そのスーパーへ行く道路の近くに、ある人物が住んでいると前に聞いたことがあった。たまたま今回その道を通ったので、家があろう場所を何気なく見つめていたのだ。尋ねて行ったことはないが、住所は知っていたので大体の場所は見当がついていた。車でそこを通り過ぎようとしたとき、思わぬ光景を目にすることになった。


『え!?』


 見覚えのある車がその周辺に止まっている。私が間違えるはずはない、あれは確かに先生の車。


『どうしてここに・・・?』


 急いでナンバーを確認しようとしたが、気が動転していたせいか見逃してしまった。胸騒ぎがする。今すぐ電話して先生に確認したいと思ったが、親が一緒にいるため出来なかった。

 それから数日後、ようやく電話が繋がった先生にその事を問いただしてみた。何故あそこに先生の車があったのか、何をしていたのかと。ナンバーまで見たわけではないから同じ車の別の人という可能性もあったのに、あっさり先生はそこにいたことを認めた。


「他の人と一緒に、引越しの手伝いをしていたんだよ。」


 私が見ていなかっただけで、他の人もいたんだということを先生は説明した。本当かどうかわからなかったが、何せちゃんと見ていないので疑おうにも疑えない。何より、本当のことを知るのが怖かった。知ったところでどうしていいかわからないし、自分が狂ってしまうような気がした。


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「相手は・・・」


「え?」
 
 声を振り絞って、聞いた。聞きたくないけど、この状態では避けられそうにない。


「相手は誰?」


 友達はゆっくりとした口調で、こう言った。
 
「うちらの元担任だよ。」


  <続く>

 「試しに会ってみよう。」


 初めはそんな軽い気持ちで行ったはずなのに、いつの間にか誘いを断らずに受けている自分がいた。


 『今週も会いに行っていいかな?』


 メールでの会話の途中、彼から誘いが来た。当然私の方に断る理由なんてなかった・・・


 『いいよ。』


 彼とのデートは一回だけに留まらず、互いの予定が合えば休日でも放課後でも会うようになった。例え放課後の短い時間でも、彼は2時間もかけて会いに来てくれる。それほどまでに自分のことを好いていてくれたんだろう。嬉しい反面、罪悪感が頭の中をよぎる。


 デートをするのはもちろん先生に連絡が取れない時だ。週末携帯電話を鳴らしてみても、折り返し電話がかかっくることは滅多になかった。自分から切った時に流れる「ツー、ツー、ツー・・・」という音が、余計に寂しい気持ちを掻き立てるのだった。


 最初は買い物に行ったり、ドライブに行ったり話したりとごく普通の恋人と変わらないデートをしていた。先生とは願ってもできないデート。彼と会うときは先生のことをあまり思い出さないのだが、「こんな風に先生とデートできたらなぁ・・・」と考えることはしばしばあった。
 しかし、それもつかの間。次第に彼とは身体の関係も発展していった。最初は抱きしめてキス、そこから身体に触れ合うことも度々。彼は先生と違って、順番に従い私に快感を教えてくれた。自分の身体の何処に触れられると気持ちがいいのか、また相手は何処がいいのかを身体で理解させてくれる。体験したことのない甘美な時間に取り付かれたように、私は彼に会わずにはいられなくなった。


 先生のことを好きでなくなったとか、そういうわけではない。相変わらず彼に恋愛感情は持てずにいたし、先生のことを1日たりとも忘れることはなかった。ただ、寂しさも含めて私は物足りなさを感じていたんだと思う。会えないのはもちろんのこと、抱き合っても最後までいくことはなく、「快感」さえ未だ経験したことがなかった。それを初めて教えてくれたのは先生ではなく・・・彼。
 
 どうして私は先生を忘れられないんだろう、彼を好きになることができないんだろう。既に浮気まがいのことをしてる私が言えた立場ではないが、こんなにも尽くしてくれる彼を好きにならずに、何故わがままも甘えもできないような先生を恋人にしているんだろう。そう頭で考えはしても、簡単にうまくはいかない。やっぱり先生が好きなのだ。


「俺さ、ちーのこと好きだから。彼氏がいても、好きだから。」


 夏の終わりも近いある日、彼がついに想いを打ち明けてくれた。


「でも、今は会えるだけでいいけど・・・いつまでもこんな状態、続けてちゃだめだよな。」


 先生という恋人がいることを彼は知っている。それを知りながら、今まで2人でデートを重ねてきた。さすがに良くないと気づいたのだろう、私も同じことを考えていた。だけど、自分ではどうすることも言い出すことさえできなかった。

 決断しなければならない時がいずれ来るとはわかっていた。どちらかに決めなきゃならないと。


「うん、わかってる。少し考えさせて。」


 数日後に先生とのデートを控えていた。答えはもう自分の中で出かかっている。その答えを口に出せる勇気をもらうためにも、先生に会いたいと思った。

 

  <続く>

 もしあの頃、中学の時みたいに先生と毎日顔を合わせ言葉を交わしていたなら、あんなことは絶対しなかっただろう。メールを何週間か交わしただけの、顔も知らないような人に会いに行くなんて、当時の自分によくそんな勇気があったなぁと今でも振り返る度に思う。そうでもしなきゃ寂しさや不安を埋められなかったから、無意識に他の人の温もりを求めるようになったのだろう。寂しさは、時に勝手に暴走して思わぬ方向に足を向けてしまうことだってあるのだ。


 会うと言ったはいいものの、実は約束の日まで断ろうか悩みに悩んだ。いくらメールをしている仲とはいえ、それ以外は何も知らない他人同然のようなものなのだ。当時は写メールもまだ普及していなかったため、当然相手の顔もわからない。しかも相手は私よりだいぶ年上の男性、万が一襲われでもしたら絶対防ぐことはできないだろう。その時期世間ではメル友殺人がニュースで報道されていたため、考えれば考えるほど悪いことしか頭に浮かんでこないのだ。・・・こんな風に、約束の日までの間は様々な考えが頭の中をぐるぐる回っては私を苦しめた。


 しかし、結局断ることもできず約束の日を迎えることになった。相手は離れた街から車で来ていたので、私は知ってる人に見られないように念を入れ、待ち合わせ場所を家からちょっと歩くとある電器屋さんに指定した。電器屋なんて同級生達がしょっちゅう立ち寄るような所でもないので、ちょうどいいと思ったのだった。


 約束した時間に間に合うよう、少し前に家を出て向かってる最中までまだ悩んでいた。


『今ならまだ間に合う、具合が悪くなったとか用事ができたとか言えば会わなくて済むよ。』


 心の中で「わたし」が私にひっそりと囁いた。でも、それも所詮自分への言い訳に過ぎない。相手はわざわざ2時間かけて私の住む街に来てくれたのだ、今更そんな嘘で帰ってもらうわけにもいかない。普段のメールの時はすごく優しくしてもらってるのに、嫌になったからといって断ることはできない。


 あっという間に時は過ぎ、約束の時間になった。待ち合わせ場所についた私は、メールで「パソコン売り場見てるから」と言っていた彼を店内に入って探すことにした。パソコン売り場へ近づく度に、心臓がばくばく言っている。緊張で手が震えた。売り場に差し掛かると、それらしき人がノートパソコンの前で考えあぐんでいるのが見えた。


「あの・・・兄ちゃん・・・?」


 兄ちゃん、というのは敬語が苦手だから勘弁してくれと言った彼の名前を呼び捨てで呼べなかったので、年上という意味を込めて前から呼んでいたものだ。当然血のつながりがあるわけではない。掛け声に気づいたのか、彼はこちらを向いてこう言った。


「あ、初めまして。」


「こちらこそ、初めまして。」


 挨拶したはいいものの、それから言葉が出てこない。その様子を察したのか、とりあえずここで話すのも何なんで・・・と、彼は私を連れ店内を出て駐車場へと向かった。
 後ろから見る彼は聞いていたよりも背が大きいなぁと感じる。恐らく細い体つきをしてるから余計そう見えるのだろう。緊張のせいなのか、余計どきどきしてきた。


 彼の車に乗せてもらうと、小刻みに手が震えてしまう。「車=二人だけの空間」という雰囲気のせいか話し掛けることができず、目をそらしていた。


「ちょうどお昼の時間だし、何か食べにいこっか。何食べたい?」


 緊張でとても食欲なんか湧いてこなかったが、かといって他にすることもない。ここは相手に従って「モスバーガーが食べたい」と言って連れてってもらうことにした。


 その移動中に、気を遣ってくれたのか一生懸命彼は自分のことを話してくれた。途中、「そんなガチガチに緊張しなくてもいいよ(笑)」と声を掛けてくれて、少しでもリラックスさせようとしてくれたりもした。彼が言うに、私の住む街へは何度が来たことがあるものの、結構前のことなので変わったが所多々あり迷いそうになったらしい。モスバーガーに行きたい、と言った時も案内を頼んだぐらいだから頻繁に来ているわけではなさそうだ。こんな感じで、たわいも無い会話をずっと交わしていた。


 無事モスバーガーに着きドライブスルーで購入した後、そのまま海へと向かう事になった。それを提案したのは私、当然案内も私だった。道案内をしているうちに2人でいることも段々慣れてきたのか気軽に話せるようになった。いつもそうなのだが、最初は極度に緊張するものの、たいして時間もかからずに親しくなる事が多いのである。


 海に着くまで、私たちはまたお互いのことについて話をした。やはりメールじゃ伝わらないこともあり、話題が尽きることは無い。話していると次第に彼に好印象さえ抱くようになった。同じように相手も気に入ってくれたらしく、その言葉を聞いた時胸がどきっとした。何故どきっとしたのかはわからないが。

 30分程車を走らせていると、よやく目的地の海に着いた。適当なところに駐車してハンバーガーを食べる事に。私は紙袋の中から彼の分を手渡すと、


「ちーの分も持っててあげるからよこして。」


 と言われた。言うとおりにして手渡す。ポテトをダッシュボードに置いたところで、さぁ食べようかとウーロン茶を口に含んでのどを潤した。


「はい、あーん。」


 え!?と言いかけ彼の方を振り向くと私の頼んだハンバーガーを包みから出してにこにこ笑っていた。


「い、いいよ。自分で食べられるもん。」


「遠慮しなくていいって。ちーに食べさせたいだけだからさ。」


 何回断っても彼は断固として譲ってはくれない。渋々彼の言うことを聞いてハンバーガーを食べようとするが・・・なんと言っても恥ずかしいことこの上ない。しかし、口では彼に敵いそうもないので、仕方がなく勢いに任せてがぶっとかぶりついた。
 それから食べ終わるまでずっと彼に食べさせてもらった。私もしてもらうだけでは悪い気がしたので彼に食べさせてあげたりと、まるで恋人同士のような時間を過ごした。


 お昼ご飯を済ませた後、私達はリラックスも兼ねて社内でしばらく話をした。高校のこと、彼の仕事のこと、お互いの住んでる街について・・・

 その中で恋愛の話も出てきた。彼の方は「少し前に2年間付き合った彼女と別れたので、今はフリー」だと言う。相手が正直に言ってくれたのだから、自分のことを隠すわけにもいかない。なので、ありのままを時間をかけて話した。『先生と付き合っている』こと自体珍しいせいか、終始相手は驚いた様子だった。


 不思議な事に、話題として先生の話をするまでは一度として頭の中に先生のことを思い浮かべることはなかった。普段は苦しいほど先生のことを想っているのに・・・少しだけ罪悪感を覚えた。自分には彼氏のいる身、それなのに散々迷ったとはいえこうして他の男性に会いに行くだなんて、私は一体何をしているのだろう。

 長かったような短かったような、そんな時間もそろそろ終わりを迎える。私が家に帰る時間になった。


「また、会えるよね?休みになったら会いに来るからさ。」


 帰り際、彼が私の手をつかんでこう言った。真直ぐにこちらを見つめる視線を逸らしながら、答えに決めあぐんでいると彼が口を開いた。


「彼氏がいても気にしないよ、会ってくれるだけでいいから。」


 その言葉にどういう意味が込められているのか、理解はできたが敢えて聞き返さなかった。さっき罪悪感を感じていたはずなのに、『もう会わない』という言葉が自分の口から出てこない。むしろ、また会いたいとさえ思い始めていた。ちょっと考えた私は、車から降りる時にこう答えたのだった。


「また会ってどっか行こうね。」


 ・・・先生、ごめんなさい。少しでいいから、寂しい想いを忘れさせる時間が欲しいの。


  <続く>

 あの日を堺に、私達は「一線」を越えてしまった。


 こんな書き方をすれば勘違いする人もいるだろうが、抱き合って一つになったという意味の「一線」を指しているのではない。互いの心の中で、ある境界線を越え少しずつ気持ちが変化していったという感じである。だがそれは2人に同じ心情をもたらすことはなかった、むしろそれぞれ違う方向へと変化していったのだ。


 一度狂ってしまった歯車が、もう元には戻らないように。


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 高校生になって2、3ヶ月が過ぎたが、先生に会える機会は1ヶ月に1回と激変してしまった。電話もせいぜい1ヶ月に2、3回ほどしか繋がらない。極端な減少が私にとってはとても辛かった。


 貴重な先生とのデートでは、彼の車で海や湖に連れてもらったりした。聞こえはいいかもしれないが、実際市内のデパートや飲食店に行けば誰かにばれてしまう可能性があるため、ちょっと車を使って遠出しなければならないだけのこと。普通の恋人のように、食事に行ったり買い物に行ったりすることが一切出来ない。

 しかし、当時の私は会えるだけで本当に嬉しかったのだ。もちろん男の人と付き合うのが初めてだったから、デートがどんな風なのかまだちゃんと理解できてないのもあったと思う。今考えれば、会うことにどれだけ貪欲だったかというのがよくわかる。


 一方先生はあの出来事の後、我慢が利かなくなったかのように会う度体の関係を求めてきた。それなのに、どうしても最後の段階に行こうとはしない。前は気を遣って最後まで行かなかったのだと思っていたが、どうやら違う様子。私にはわけがわからなかった。それらしいことを毎回しているのに、何故先生は思い切ってくれないのだろうと。

 何だか焦らされているようで、とてももどかしかった。だけど、正直な気持ちを口に出して伝えるのは恥ずかしくてできない。どうしたらいいのだろう・・・


 そんな日々を過ごすうちに、いつの間にか無意識に寂しさが溜まっていったのだろうか。限界の「境界線」を越えて、思わぬ行動へと出る自分を止めることができなかった。
 


 高校生になったと同時に携帯電話を持たせてもらった私は、当時流行っていた出会い系サイトをちょくちょく覗くようになった。最初はほんの興味でしかなく、メル友なんか怖くて作れないと思っていたのだが・・・高校を卒業し、先生にもなかなか会えなくなって寂しさが募っていたせいだろうか。ちょっと見て終わりにしようと思っていたはずが、ある日ふいに掲示板に書き込みしてしまった。別に大した意味はなく、寂しいときに話せる友達でも出来たらいいなという軽い気持ちだったことは言うまでもない。


 それから何時間かして、簡単にメル友ができた。書き込みは結構来ていたのだが、その中でも同じ青森県の男の人が目を引いたため、その人に返信することを決めた。


 それが、次の彼氏との出会いだった。


 相手は私よりだいぶ年上。初めにちょこちょこメールを交わすうちに、彼は私のことを気に入ってくれたようだった。私自身メル友に抵抗はあったものの、かまってもらえない先生とは違い毎日メールをくれた彼にあまり抵抗はなかった。彼も私を妹のように扱い、可愛がってくれた。


 夏のある日のこと。


「ちーに会ってみたいな。」


 私達がメールのやり取りをし始めて一ヶ月くらい経った日のこと。彼の方からこうメールが来た。ちーとは私のあだ名のことである。


「うーん、でもなぁ・・・」


 さすがに迷った。相手は見ず知らずの人、友達に会うのとはわけが違う。下手すれば何が起こるかわからない、でも、自分自身がすでに寂しさの限界だった。先生に悪い気はしたが、自分の行動を止めることが出来ない。


「わかった、いいよ。いつにしようか?」


  <続く>

 階段を上りきって、いつも会っている教室の中に入るとまだ先生は来ていなかった。カーテンを閉め切っているその教室は真っ暗。とても学校の中とは思えない。壁に寄りかかって、先生が来るのを待った。


 遠くの方から足音が聞こえてくる。


 頭が真っ白になってもう何も考えられない。初めて先生に学校で抱きしめられた時のことが、唯一思い浮かんできた。あの時は膝がガクガクするほど緊張で震えていたが、今はそれほどではない。いや、もしかしたら前以上に緊張してて、頭が働かないのかも…


 足音がすぐ近くに来たかと思っていると、急に止まったのでびっくりした瞬間ドアが開いた。


「先生・・・」


 こちらを向き少しだけ微笑んでドアを閉めた。頭の中がからっぽで、先生の口が開き何かを言ってるようなのだがさっぱり耳に入ってこない。ただ会話に合わせてうん、うんと相槌を打つことしかできない。手に汗がにじみ、かくかくと軽く震えた。
 
 楽しい出来事は今まで書いてきたようにちゃんと覚えているのだが、この日の出来事はおぼろげながらにしか覚えていない。


 ふと、会話が止まって見つめあう形になった。一秒一秒が長く感じられる。彼が、私の腕をつかんで自分の方に引き寄せた。いつものように抱きしめられる形になる。嬉しいはずなのに、何故か不安があった。


 ここからはまるでスローで場面を再生するかのごとく、時が流れていく。


 前のように彼に押し倒されて、気づいたらキスされていた。抱きしめられるだけで、キスさえまだだったのにあっという間だった。しかも初めてのキス。唇に軽く触れられるようなものじゃないことに、私はかなり戸惑った。自分の口の中で、彼の舌が何かをまさぐるように動く。どうしていいかわからなかった。もちろん、抵抗さえできない。


 そうしているうちに彼の手が服の中へと伸び、胸に触れると撫でるように手を動かした。やがて5本の指が自由に動き出して、揉む仕草へと変わっていく。本で見たような行為を今、目の前で自分がやられている…。まるで想像の世界にいるような感じに陥った。


 次第に上半身の服の中に先生がもぐりこんだかと思うと、乳首の辺りを吸われたのがわかった。くすぐったいような、それでいて何だか変な感じがする。それは少しずつ「気持ちいい」という感情に変化していった。こんな風に感じている自分が急に恥ずかしくなって、顔面が燃えるように熱くなった。

 何かの本で見たようなことを、忠実に先生にされている感じだ。すごく恥ずかしいけれど、期待のようなものもあった。


 そうやって愛撫をされてるうちに、先生の指が自分の中に入ってきた。


「んっ・・・。」


 思わず声が出る。自分で触ってもいないのに、濡れてるのが明らかにわかった。


 普通はここまで来たら最後まで行くのが当然だと思っていた。色んなところを触られながら「今日で私、大人になるのかな」なんてばかばかしいことを頭で考えたりもした。だけど、先生はやはり最後までどんな行動に出るかわからない。


 暗闇の中で先生が手を止めて、何やらごそごそしているのがなんとなく感じ取れる。一体何をしてるのかと、自分の頭の中で思いを巡らせていると彼に腕をつかまれた。引き寄せられた時、右の頬に何かが当たった。なんだろう、よくわからない。


 そこから一瞬の出来事のように感じた。自分の口の中に何かを含まれて、自分の意志とは関係なく先生にされるがまま。詳しく書かなくても、何をされたかぐらいはわかるだろう。ただ、当時の私はそれを知らなくてずっと混乱しっぱなしだった。本では見たことないようなことを、やらされている・・・


「イクよ・・・」


 囁くような先生の声。え、と聞く間もなく口の中に生暖かい液体が流れ込んできた。『どうしよう』と先生の方を見たが、彼は何も言ってくれない。・・・飲み込むしかなかった。


「飲んじゃったんだね。」


 いつものような笑みを浮かべながら、彼は私の方を見てこう言ったのだった。


 最後までいかなかったことに疑問を持っていたが、その疑問を彼にぶつけることもできずに帰る時間となった。すっかり暗くなってしまった廊下を歩いて、玄関に靴を取りに行った。


 廊下に続く暗闇。これからを暗示していることも知らず、私はその方向へと歩き始めていた・・・


  <続く>

「先生、襲っちゃうかもよ?」


 この人何言ってるんだろう、という困惑に混じって「ついに来たか」という思いが湧き上がってきた。瞬時に脈拍が速まる。指先から足元まで一気に電流が駆け抜けたように、身体がじんじんする。前に押し倒されたときのことが頭の中で蘇って来た。


「私は、別に構いませんけど。」


 今思えばもう少しましな返し方が出来なかったのかと恥ずかしくなるが、当時私は何にも知らない中学生。冷静を装うかのように話してみても、電話を持つ手には汗が滲んでいた。胸の高鳴りが治まらない。大体、どうしていきなりストレートに言ってくるのだろう。またいつものように冗談を言って私をからかってるのか、それとも・・・


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 今日の午後のこと。ようやく週末がやってきたので私は携帯を手にとって、彼に電話をかけようと午後になるのを待った。恐らく、午前中に電話をかけても部活か何かの取り込み中で電話には出てくれないだろう。だったらまだ午後にかけた方が望みはある。


 午後4時半。祈るような気持ちで電話番号を押した。コール音がカウントダウンに聞こえてくる。一回、二回・・・と心の中で数えていると、三回目の途中で途切れた。


「もしもし?」


 ようやく、彼が電話に出てくれた。


「先生!今日は忙しくないんですか?」


「先生はいつも忙しいよ(笑)」


 冗談めかした口調で先生が笑う。


 ふと思い出した、「先生暇ですか?」と聞けば「暇なわけないじゃんか~」などとやりとりしていたことを。時間さえあれば先生と一緒にいたいと思っていたあの頃。今ではもう、それは叶わない。あの日々さえも帰ってこない。在学当時はただ卒業したいとばかり思っていたが、いざ卒業してしまえばやはり寂しさがこみ上げてくる。


「そっか~、最近会えなかったから今日もし暇なら会いたかったんですけどね・・・」


 いつも「寂しい」と言っては「会いたい」を切り出しているから、今日こそは言わないつもりでいたが、我慢できなかった。自分の思ってたことを素直に口にしてしまった。今まで、寂しくても先生を困らせるような発言は極力避けてきた。わがままだとか思われて、別れたくはなかったのだ。


「会っても、いいよ。」


 ゆっくりと先生はその言葉を口にした。「いいんですか!?」と聞き返す前に、彼は続けてこう言った。


「だけどね・・・」


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 私は今、学校の前にいる。この中で、きっと先生が待っている。これから起こることが何なのか、想像しただけで焼けるぐらい身体が熱くなる。でも、彼は私の好きな人。不安ではあったけど、嫌だとは思わなかった。むしろ私は、この時を待ち望んでいたのかもしれない・・・。


 玄関から学校に入った。日も暮れて校内は薄暗い。物音一つせず、聞こえてくるのは自分の足音だけだった。上の階に行こうと、玄関前の階段に足をかけた。 


 <続く>

 4月上旬。私は晴れて希望していた高校の一年生になることができた。新しい制服、新しい靴、初めて会うクラスメイト、そして高校の先生達。最初は何もかもが初めてで戸惑いを隠せなかったものの、時間が経つうちにだんだんと打ち解けることができた。


 元々中学校を早く卒業して高校に行きたいと願っていた。中学には良い思い出もたくさんあったが、逆に悪い思い出もたくさんあって、印象が深かった悪い出来事が中学のイメージさえ悪くしていたのだ。だから、ほとんど知人がいない新しい環境で、学校生活を変えていきたいと思っていたのだ。

 運良く私が志願した高校は倍率が市内で一番高く、同じ中学の同級生はほぼいなかった。自分が快く思っていなかった人たちはほとんど落ちてしまっていたため、都合が良かった。


 新しいスタートは順調かのように見えた。でも、ここからが自分にとって辛い時期であり、それがしばらく続くことになる。


 学校や授業に慣れてくると共に、彼への想いや寂しさが募ってきた。今までほぼ毎日顔を合わせてきただけに、極端に会えなくなるのは辛かった。しかも、あれからたまに電話してみるものの、今までずっと留守電でまともに出てくれたことがない。かけ直すことさえしてくれない先生を恨んだかと言えば、全然そんなことはなく・・・


『きっと先生は忙しいんだ。だから仕方が無い。』


 ひたすら自分に言い聞かせていた。そうでもしないと我慢なんてできるわけなかった。


 ある日の夕方のこと。


 思い切って高校の帰りに、中学校に寄ってみようと放課後自転車を走らせた。卒業生は高校に入ってからちょっとの間、中学校に遊びに行くことが多い。私は中にまで入るつもりは無かったが、せめて部活の指導をする先生の姿さえ見られれば・・・と思った。

 姿を隠せて、グラウンドを臨めるようなところに自転車を止めた。まるでストーカーのようだが、知り合いに見つかってとやかく言われたくはない。グラウンドで彼の姿を探した。


『いた…。』


 部員の生徒と走り込みをしている、懐かしい先生の姿。受験生の時はほとんど見られなかったので、ひどく懐かしい気がした。

 少しの間黙って見ていると、今まで感じていた寂しさが一層大きくなっていくような気がした。心が切なくて、痛い・・・学校を卒業してまだ一ヶ月もたってないのに、こんなに遠い存在に感じてしまうなんて・・・


 自転車をこいでその場を後にした。自分の寂しさは限界に近づいている・・・今度の土日、だめもとでもう一回電話をかけることを決意しながら。


  <続く>

 生徒や先生の姿が一人も見えない学校というのは、普段とは全く違いまるで火か消えたようだった。しんと静まりかえった校舎が夕陽に照らされて佇んでいるのみ。それが何処か不安さえ感じさせる。


 生徒玄関は当然閉まっていたので、中央にある職員玄関からこっそり入った。その時つい誰かに見られていないかと辺りを見回したが、学校の周りはおろか道路に車さえ通らなかった。

 私は一旦生徒玄関に行って内ばきを取りに行こうかと躊躇ったが、結局靴下のままで階段を上がっていった。別に誰が見ているわけでもない、この建物の中には私と彼しかいないのだから。


 階段を上って三階に出ると、学校生活を送っていた自分達の教室が視界に入ってきた。懐かしさを感じたものの、何処か寂しさが漂っているような気がした。


 以前にもそうしていたように、先生は音楽準備室で待っていなさいと電話で話していたのでドアを開けて中に入った。ここは何故かいつも黒いカーテンを閉めきっていて外から中の様子が見えないようになっている。きっと吹奏学部が楽器を置く場所として使っているので、保存のためにそうしているのだろう。
 それにしても朝でも薄暗く感じるこの部屋は、夕方に電気もつけないでいるとだいぶ暗い。おまけに誰もいないので静かなのが逆に気味悪ささえ感じさせてしまう。


 と、突然、


『ガラッ!』


というドアの開く音がしたのでびっくりした。そちらの方を振り向くと、先生がそこに立っていた。


「なぁんだ、先生かー。びっくりしましたよいきなり開けるから。」


 心臓の脈が早くなる。驚いたからだけじゃない、少しの間見ていなかった先生に会うことができたから…。


「久しぶりだね、元気にしてた?」


 寂しさが広がっていた私の心に、その言葉は深く響いた。思わず泣きそうになるのをこらえながら、こくんと首を縦に振った。


 それから私たちは前のようにたわいのない会話を交わした。休みの時はどうしていたとか、高校の話が殆んどだったが。

 何分かそうしていると、先生が私の目をじっと見て少し微笑んだ。視線を下に移すと…両手が差し出されている。久しぶりに見る、この合図。私は誘われるかのように、自分の手を差し出した。すると先生は力を入れて自分の方に私を引き寄せた。


 こうして抱き締められるのは、会ってない期間よりもさらに長い。でもそれは受験やら卒業式の準備やらがあったからで、二人きりになれる時間がなかったのだ。

 先生の腕に少し力が入る。こんなに近くにいてドキドキが聞こえてやしないかと私は少し恥ずかしくなった。


 その時だった。


 何が起こったか一瞬わからなくなった。体が右の方に傾くようにして倒れ込んだのだ。はっと気付いた時には、先生に…押し倒されたのだということがわかった。


 脈拍が更に速くなる。頭が真っ白になり、何も考えられない。


 前を見ると、彼がいつもとは違う顔で下に敷かれている私を覗き込んでいた。それを見た途端、急にすごく恥ずかしくなって思わず右腕で目を隠してしまった。これ以上先生の顔を直視できない、そう思った。


 私だって、この状態で次に何が起こるかぐらい知らないわけではない。でも…


 先生に告白してからいつかはこんな日が来るだろう、と何回も頭の中で想像してきた。一応、覚悟はしてるつもりでいた。だけど…まだ心の準備ができていないのだろうか、無意識に体かそうなることを拒否しているのだ。先生としたくないとかそういうことではなく、ただ怖かったのだ。


 触れようとしている先生に耐えきれなくなって、私は倒れた状態から上半身を少し起こして、しがみつくような体勢を取った。ほんとに無意識だったが、何故か今はこうしなければという思いに駆られた。

 私のその行動を見て、彼は跨っていた体勢から体を起こし、私の腕を掴んで立たせてくれた。きっと私が嫌がっているというふうに捉えたのだろう。そうではない、と否定したかったがあんな行動の後では何も言えなかった。


 タイルの床の冷たさだけが、感触として残っていた。


  <続く>

 中学校を後にして自転車で帰る途中、私は先生と過ごした日々を思い起こしていた。


 先生に片思いしていた期間は二年間、付き合ったのはたった半年。約二年半の間に本当にいろんな出来事が、思い出があった。その日々が一瞬にして崩れ去ってしまった・・・


 早くも忘れるための準備を頭の中で自動的に行っているのか、思い出の数々がフラッシュバックするかのようにありありと浮かんできた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 中学を卒業してから二週間が経ったある土曜日。


 三年生は卒業するともう学校に行かなくて済むし、宿題もないため毎日暇な時間を過ごしていた。私といえば、何よりとても寂しかった。今まで毎日のように先生の姿を見て、会話をしていたのにそれが極端になくなってしまうと心にぽっかり穴が空いたようだった。


「先生に会いたい・・・」


 辛かった。これだったらもっかい勉強してもいいから学校にもう一度行きたいと思った。普通付き合って最初の頃とは、ドラマや漫画などでは毎日飽きるくらい一緒にいたりデートしたり、電話したりしてるのに私たちの間ではまだそれすらない。


「電話・・・」


 そうだ、先生から教えてもらった携帯の電話番号がある。前に先生からもらった小さな紙を手に取った。今の時刻は夕方の5時。今日は学校も休みだし、もしかしたら電話に出てくれるかもしれない。せめて会えなくても、今日は声だけでも聞きたかった。もう限界なのだ。


 紙に書いてある電話番号に自宅の電話から掛けようと、ボタンをプッシュした。この時はまだ自分専用の携帯電話を持っていなかったため、家からかけるしかなかったのだ。


『プルルル・・・』


 受話器からコール音が漏れる。


 先生の携帯は、5回コール音がなった後留守番電話が作動してしまうため、もし5回鳴って出なかったらその時は出られない証拠。たまに後で気がついて掛け直してくれる時もあるが、大概はすぐかかってこない。何せ自宅の電話なのだ、親が出てしまったらお互い困ってしまう。


『プルルル・・・』


 二回目のコール音が鳴る。果たして出てくれるのだろうか、可能性は低い。


『プルルル・・・』


 三回目のコール音。回数を重ねるごとに、だんだん期待が絶望へと変わっていくような気がした。もうだめかも・・・そう思った。


『プルルル・・・プッ。』


 四回目のコール音の途中で、接続音のようなものが遠くで聞こえた。


「もしもし・・・?」


 二週間ぶりに聞く、あの人の懐かしい声だった。


「先生、久しぶりです!」


 思わず嬉しくなって、私は電話口で叫んでしまった。


「どしたの?何かあった?」


 穏やかな口調で、先生は答えた。電話からでは顔は見えないものの、声の調子からきっといつものように笑っているのだろうと思えた。それがまた嬉しかった。


「いえ、もう二週間も先生に会ってないなーと思って・・・電話したんです。」


「そうだねぇ・・・今、会おうか?」


「え!い、今ですか!?」


 あまりの展開の早さに私は驚いてしまった。確かに、会えればいいなーくらいには考えていたものの、もうそろそろ日も暮れるし、たぶんそれはないだろうと思っていたからだ。


「今先生、学校にいるんだけど誰も居ないから。」


 学校、すなわち卒業したばかりの中学校のことだ。誰もいないというのは、土曜や日曜といった休日は通常午後四時に部活が終わり生徒や先生たちが帰るため、おそらく彼だけが何か仕事の関係で遅くなったのだろう。


「行っても大丈夫なんですか?」


「うん、いいよ。」


 先生からの返答を待たず、私は早くも行く気満々だった。せっかく久しぶりに会えるチャンスと、見逃すわけにはいかない。


 電話を切った後、さっそく自転車に乗って中学校へ向かったのだった。


  <続く>

 その日は、雨が降っていた。決して強くない、だけど何処かもの哀しい小雨が降っていた。


 私は夜、「近くのコンビニに行ってくる」と親に嘘をついてある場所に向かっていた。そうやって思わず家を飛び出してきたものの、自分でも何をしたいかわかっていない。ただ・・・彼に会って話が聞きたいという想いが私の足を、身体をつき動かしていた。


 自転車のペダルを力の限りこいで来たところは、半年前に卒業したばかりの中学校。そう、彼と三年間の学校生活を共にした場所、そして彼への思い出がいっぱい詰まっている場所だ。


 学校から少し離れた場所に自転車を停める。中学校には当然明かりはついていない。先生方の車も一台もない。わかっていたことだけど、思わずため息が漏れた。


 信じていた。いや、先生のことが本気で好きだった。だからこそ、数日前起こった出来事が未だに実感がわかない。それどころか頭で理解することを拒否している。


 ポケットに入っていた携帯電話を取り出して、彼の携帯に電話をかける。しかし、やはり繋がらない。もう3日もこんな状態だ。せめて彼の口から聞くことができたらどんなに楽になることだろう。はっきり言われた方が、諦めもつくと思うのに。


 小雨は一向にやむ気配を見せない。ただ静かに、しっとりと降りつづけている。この雨に打たれて、彼との思い出を綺麗に洗い流せたらいいのに・・・そう思った。

 再び自転車をこぎだして、私は家へと向かった。


『裏切られたんだ。』


 漠然とした感情の波の中で、たった一つだけ形を持ったその事実が、流されることなくそのまま心の砂浜に取り残されていた。


  <続く>